運慶作、大日如来坐像、ニューヨークでオークションにかけられる! [歴史と旅]
鎌倉時代の仏師、運慶作と言われ国立博物館にも展示された大日如来坐像が、個人所有で国宝・重文指定の同意が得られなかったため、ニューヨークでオークションにかけられました。

国宝級の仏像彫刻の海外流出が騒がれ、署名活動も起きたのですが、国はオークション参加を見送っていました。
オークションの結果、落札したのは三越百貨店、これで海外流出はひとまず避けられそうです。
しかし落札額は1280万ドル(約12億5000万円)、t当初の予想が2億円ですから、どれだけ価値のあるものか分かります。
国の宝ですから、せめて重文の指定を受けさせ、オークションは避けたかったものです。
それにしても、日本に残ってくれて良かった。
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運慶作品 12億5千万円で落札
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080319-OYT1T00161.htm?from=rss&ref=mixi
古墳時代にネコが日本にやって来た?(久々歴史ネタ) [歴史と旅]
ベガルタ仙台と歴史紀行 大阪、住吉大社 [歴史と旅]
2007年7月29日、大阪府大阪市住吉区にある「住吉大社」に行ってきました。
大阪では初詣客がいちばん多く訪れるところです。
新大阪で新幹線を降りJRを乗り継いで天王寺駅まで、
そこから阪堺線という1両編成のちんちん電車に乗り

「住吉鳥居前」で下車、なんと!まさに鳥居のまん前でした。

大きな石灯籠に囲まれた参道を歩くと太鼓橋があります。

この太鼓橋、かなり傾斜が急です。子供やお年寄りは危ないですね。

何故、ここまで急にしたかは分かりません。
さて、ここ住吉大社ですが、航海安全、そして禊(みそぎ)、祓い(はらい)の
神様として有名です。
祀られているのは”いざなぎのみこと”が海で禊と祓いを行なっている
ときに誕生した底筒男命 (そこつつのをのみこと) 、中筒男命 (なかつつのをのみこと)
と表筒男命 (うはつつのをのみこと)の三神、そして応神天皇の母、神功皇后も
祀っているので計四神です。
この三神と、聞いたときに思い浮かぶのは福岡県の古社です。
例えば、志賀島の志賀神社は底津綿津見神(そこつわたつみ)、中津綿津見神
(なかつわたつみ)、上津綿津見神(うわつわたつみ)の三神が祀られています。
また、宗像神社も多紀理毘売命(たきりびめ)、 市寸島比売命(いちきしまひ
め)、多岐都比売命(たぎつひめ)と言う三神が祀られています。
古代の文化は北部九州から瀬戸内海を通じて関西に伝わったと言われていますの
で、祀りごともその影響があったのかも知れません。
ところで、ここ住吉神社では神様を他と違うめずらしい祀りかたにしています。
多くは複数の神様を本宮に集めて祀るのですが、住吉大社では神様一柱ずつ本宮
を建てています。と言うことで、ここには本宮が4棟あるのです。

第四本宮は第三本宮の向かって右手に並んでいます。
普通の神社で私たち一般人が拝めるのは拝殿と言う本殿の前にある建物です。
ですから通常、神聖な本殿は屋根くらいしか拝むことはできません。
ところが住吉大社はこのような配置なので第二~第四本宮は本殿の建物も
見ることができます。

拝殿と本殿が90度、違う形で建てられているので分かるかと思います。
普通、一般の神社で私たちが手を打ち合わせるのは手前の拝殿です。
本殿の横や後ろまで通させてしまう・・・
関西らしい大っぴらさなのかも知れません(笑)
そして神社のウンチクをひとつだけ語り終わりにします。

この二つの本宮、建て方の違いが分かりますか?
第三本宮がよく見えませんね、同じ建て方ですので第二本宮の写真を紹介します。

いかがでしょう。
実は第四本宮は神功皇后、そう女性神なのです。
屋根の千木(屋根を飾るXの形をした柱)をご覧ください。
女性神の場合は千木の先端を水平に切るのです。
そして、第一~第三本宮は男性神ですから垂直に切られています。
(何故でしょうねえ(^^ヾ )
最後に第一本宮の写真と、「常勝お守り」です。
一緒にベガルタ仙台の常勝をお祈りいたしましょう(^人^)


常勝お守り
セレッソ大阪vsベガルタ仙台のレポはこちらです↓
http://blog.so-net.ne.jp/metoo/archive/20070730
高松塚古墳(奈良県明日香村)「飛鳥美人」を報道陣に公開 [歴史と旅]
久々に「歴史と旅」の話題です。
ベガルタ仙台にのめりこんでいる間にも高松塚古墳ではこんなことが起きています。
1300年間、古墳の壁に描かれて静かに時の流れに従っていたのですが、
発見されてからの数10年、人の手によってカビなどが増え貴重な絵が消えかけています。
そこで、石室を解体、古墳から取り出すことになってしまいました。
貴重な絵などを保存しなければいけないことは分かります。
しかし、そのため、貴重な歴史遺産である古墳の土盛りを崩し石室まで解体、取り出してしまう。
もう外観からは古墳に見えません。
それで良いのか考えさせられます・・・私にも答えは・・・なかなか見つかりません。
ただ、基本的には”歴史遺産はその時代のまま、時の過ぎ行くまま”と思ってます。
真の継体天皇陵(今城塚古墳)を遠くから眺めてきました(歴史と旅) [歴史と旅]
真の継体天皇陵と言われる「今城塚古墳」をベガルタ仙台がC大阪戦で遠征した際、
試合前日に見学してきました。
場所は大阪府高槻市、駅から北西に歩いて40分ほどで古墳に着きます。

この今城塚古墳ですが、現在の宮内庁はここを継体天皇陵として比定していません。
近くにある太田茶臼山古墳を継体天皇陵としています。
何故でしょう?
実は今城塚古墳は戦国時代、京都を占領した阿波(徳島)の三好氏によって出城を
築かれたのです。
さすがにそのような地を天皇陵に比定するのは気がとがめたのかもしれません。
なので、天皇陵の可能性は極めて高いのですが、宮内庁が管理していないため
この古墳を間近に見れますし、公共機関の発掘も可能なのです。
(宮内庁管理の天皇陵は立入り禁止、原則発掘もできません)
ということで、「天皇陵に立入れる!」と喜び勇んで脚も軽やかに行ってきました!
がっ・・・!
なんと、歴史公園として整備するため立入り禁止となってました(T_T)

諦め切れない私は柵で囲まれた古墳を一周・・・空しい・・・

寂しげな後ろ姿

環濠の向こうの後円部です

史跡の表示板

史跡の解説

環濠の向こうの前方部を斜めから
空し過ぎるので、こんなこと↓考えながら歩いてました。
継体天皇(大王)な謎に包まれた大王です。
一代前の王は武列天皇(大王)と言われ悪逆非道を極めた悪王とされています。
嗣子がなく直系に王位継承者できなくなり側近が5代前の応神天皇(大王)の
子孫として北陸(越前)にいたオホド王(後の継体)を擁立したことになっています。
歴史を解く手がかりとして、歴史書に悪逆非道の王を登場させた時点で王朝交代が
あったと考えることができます。
古代中国では悪王が出たときは天が王を滅ぼし民衆に支持された王が即位するという
謂れがあります。
まして、継体の場合、5代もさかのぼって無理に系譜に結び付けています。
きっと、王朝交代があったのでしょう。もっとも、前代の王の側近を味方にするために
王妃は前王の関係者として、入り婿の形をとったかもしれません。
(このあたりの婚姻戦略は戦国時代などを参考にすると察しがつくと思います。)
以後、この継体天皇(大王)の血筋が代々大王を務め天武・持統朝から天皇という
名称を正式に使用しています。
余談ですが、天皇とは北極星の意味があります。「天子は南面す(中国の諺)」
どうですか、北極星にたとえた意味もなんとなくお分かりかと思います。
平城京、平安京などを見ると、なるほど内裏(朝廷)は都(京)の北にあります。
首都建設には古代中国の影響(含む風水)が色濃かったのです。
さて、継体天皇(大王)の即位と合わせ、一般に継体より有名(?)な
蘇我氏が台頭してきます。蘇我氏は継体とつながりが深かったのかもしれません。
継体系と蘇我氏のつながりから厩戸皇子(聖徳太子)も生まれています。
その後、蘇我氏の専横が問題となり、一般に大化の改新と言われている
乙巳(いっし)の変で蘇我氏本流が滅亡することになります。
ただし、傍流は石川などの姓で現在まで続いています。
蘇我氏本流滅亡の後、実権は徐々に藤原氏にうつっていきます。
天皇家はその後、藤原家から皇妃を迎える時代が続いたり、ときには藤原家を
抑えたり、武家に脅かされたり、逆に利用したりして現在まで国家元首として
綿々と続いています。
仮に継体天皇(26代)507年から今上天皇(125代)2007年として99代の
天皇が1500年の間に在位したことになります。
1代の在位期間は 1500年÷99代=15年 となります。
一般家庭では1代、25年~30年と言われています。
いかに天皇家、その周辺で権力闘争が激しかったかがうかがい知れます。
継体天皇(大王)は権力闘争の勝者ですが、その後半生はある意味、
闘争に敗れた感があります。
現実に戻り・・・
工事が終わったら、なにかの機会にまた訪れたいと思います。
帰りは歩く気力がなくなり、近くのバス停に行ったらバスは1時間後・・・
仕方なくとぼとぼ駅まで歩いていたらちょうどタクシーが止まったので思わず
飛び乗ってしまいました。
やれやれ疲れた。
翌日、ベガルタ仙台がC大阪に勝ったから(第2節)良かったけど。
奈良、秋篠寺と伎芸天さま [歴史と旅]
大阪長居第2陸上競技場に向かう前に奈良の「秋篠寺」に行ってきました。
ここは、ひっそりと佇む小さな古寺で団体旅行のルートにもなっていません。
当初は大きなお寺でしたが平安時代、兵火にあい、伽藍の大半を失ってしまいました。
現在は本堂のほか、数棟を残すのみです。

秋篠寺の参道
(往時はこの両側に伽藍が立ち並んでいました)

兵火で消失した当時の本堂の礎石など
現在の本堂はシンプルな造りですがバランスの良い美しい建物です。

秋篠寺本堂
秋篠寺といえば木蓮、花の季節には写真を趣味とする人々が木蓮を前景に
優美な本堂の写真を撮りに集います。

木蓮と秋篠寺本堂
(木蓮の花には少し時期が早いようです)
そして、なにより人を秋篠寺に惹きつけるのは「伎芸天」という仏像彫刻です。

伎芸天さま
(堂内は撮影禁止、購入した写真を撮影)
その横顔の美しさ、姿勢のたおやかさは人々を魅了するものがあります。
また、日本で唯一、伎芸・芸能をつかさどる天女でもあります。
宝塚歌劇団やをはじめ多くの人々が、内緒でお参りにくるそうです。
平成2年当時、礼宮さまはこの地にちなんで秋篠宮家の宮号を賜りました。
紀子様の笑顔と伎芸天さまを重ね合わせる人も多いと聞いています。
さて、大阪長居第2まで急がないと・・・。
伎芸天メモ:
伎芸天は兵火に合った際、傷んでしまいました。
頭部は平安時代、現在の体部は鎌倉時代の作です。
しかしその出来栄えは見事なもので時代の違いを
まったく感じさせません。
古代王朝交代の謎! 大阪今城塚古墳(長居への途中・・・) [歴史と旅]
先日、↓のような記事を読みました。
「今城塚古墳 大規模な石組み遺構見つかる 大阪・高槻」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070302-00000003-maip-soci
今城塚は真の継体天皇の陵と言われている古墳です。

日本の天皇は万世一系でつながっていると言われていますが、
実際は数回の王朝交代があったと言うのが現在では一般的になっています。
継体天皇(大王)については謎が多く、前代の王朝からなんらかの方法で
継体王朝に交代し、現在の皇室につながっていると言われています。
非常に興味のある古代の大王で、この王は前代の王と違い北陸(越前)や琵琶
湖沿岸地と深い関わりをもっています。王朝交代の謎が秘められています。
一般に天皇陵の比定地は宮内庁が管理していて一般の人は入ることはできませ
んし、発掘もできません。
しかし、この古墳は運悪く(運よく?)天皇陵に比定されていないため、
発掘調査が可能となった貴重な古墳です。
近々大阪に行く機会があるのですが(お察しのつく方も多いと思いますが(笑))
ぜひ、今城塚古墳を眺めて古代に想いを馳せてきたいと考えています。
うーん、久々に”歴史と旅”ネタだ(笑)
残念! いとうせいこう&みうらじゅんトークショー [歴史と旅]
以前、東京国立博物館で開催される「仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り」
(2006年10月3日(火)~12月3日(日))を紹介しました。

http://blog.so-net.ne.jp/metoo/2006-09-07
このなかで「見仏記」の著者でお馴染みの”みうらじゅん”、”いとうせいこう”氏による
爆笑仏像トークショーも紹介しました。

「みうらじゅん・いとうせいこう仏像トーク」
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=3474
実はこの連休、田舎に稲刈りに行く予定だったのでトークショーは諦めていたのです。
ところがこの雨、稲刈りは延期になりました。ならばトークショーにと思ったところ・・・
チケット完売(T_T) 人気あるんですね、とても残念です。
仏像だけでも観に行くつもりですけど^^
ひさびさに仏像彫刻ネタ [歴史と旅]
ひさびさに仏像彫刻ネタです。
東京国立博物館で「仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り」
(2006年10月3日(火)~12月3日(日))が開催されます。

奈良・平安時代の仏像から江戸時代の木喰(もくじき)さんまで、
一木彫(いちぼくちょう)の仏像が展示されます。
一木彫の仏像彫刻は力強いですね、仏像ファンでなくても必見だと思います。
「仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り」
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460
また、期間中「見仏記」の著者でお馴染みの”みうらじゅん”、”いとうせいこう”氏
による爆笑仏像トークショーがあります。
こちらも必見ですよ。かなり面白くてためになると思います。
「みうらじゅん・いとうせいこう仏像トーク」
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=3474
Jリーグ地名考「神戸」 出陣でござる [歴史と旅]
8月6日(日)夏の甲子園開幕の日、ベガルタ仙台はアウェーの地
神戸ウィングスタジアムでヴィッセル神戸と戦います。
「神戸」という地名ですが、もともと神社に所属し、納める税(租庸調)を
もとに祭祀を支えたり、神社そのものを守る人々、「かんべ」に由来しています。
神戸の場合は生田神社の「神戸(かんべ)」がそのまま地名になりました。

「かんべ」と読むところもあります。三重県から奈良県に向かう近畿鉄道に
「伊賀神戸(いがかんべ)」とう駅名があるのをご存知の方も多いと思います。
戦国時代、織田信長が神戸氏を押さえ、我が子を神戸氏の養子に送り込みました。
その子は豊臣秀吉に翻弄されることになります。
歴史好きの方なら「かんべ」はお馴染みの地名、名字でしょう。
また、「兵庫」という地名は読んで字のごとく武器庫に由来します。
その昔、1500年くらい前でしょうか、領土(国境)防衛のため武器庫をつくり
前線基地としました。それが地名、県名に発展しました。
神戸は平安時代末期、源平合戦の舞台となりました。
源義経、平敦盛などで有名な「一ノ谷の戦い」です。
その地でヴィッセル神戸vsベガルタ仙台がJ1昇格に向けた戦いの
火ぶたが切って落とされます。
おのおの方、内輪もめしているときではございませぬぞ!
選手は先陣、サポは後詰めの出陣でござる!!








